nao murakami blog

2017の春に

2017.04.07

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このブログを最後に更新したのは1年前のことです。
その頃、要介護5で重度認知症になった父を見舞いながら
その後は一体どうしたものか、悩みながらあるいた道を
昨日また歩いた。
道路沿いの切り株の中に咲く、ホトケノザの花。
春なんだな。

あれは一昨年の12月25日。救急搬送を待って
床に倒れていた父は、
私の知っていた彼ではなくなってしまっていて、
私はその時からある種の失語状態に陥り、
文字を読むことと書くことが
出来ない月日が続きました。
仕事があるから、喋るのと聞くのは出来たけど、
すごく乱暴な状態だったと思う。
周りの人たちに、ずいぶんとご迷惑をおかけしたと思う。

そしてこの春、家族で一つの決断をしました。
父、ありがとう。在宅介護を学ばせてくれて。
これからは、木々を、花を、空を
見られる日々になるからね。
いつでも会いに行くからね。

そして私は、ことばを取り戻した。

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TJCと過ごした3月

2016.04.15

naomurakami

見上げれば、葉桜。
今年の桜シーズンは、例年にも増してあっという間に
過ぎていきました。

このブログ、自動引き落としがうまくいかず先日
いったん停止。みわちゃんはブログ更新できない
PC環境にあるので、このままブログを続けるか
どうしようかなーと思っていましたが、
たまに読んでくれている教え子に
「ブログやめちゃったんですか?」と
連絡をもらい、ともかく久々更新です。

3月後半からTJC(日タイ国際児)をタイから招いての
てのひらイベントの準備からお見送りまで、
イベントそのものは一日だけだったけど、一ヶ月ちかく
かかりきりでした。
コーディネート、ソーシャルワーク的なことも含めた
関係者との連絡、参加者予約対応などなど。。
ただの展示や上映、講演などとは違って、初めて日本に
やってくる若い女性をお迎えするのは大変なことだと
動きながら実感しました。

イベントは満席。
TJCが、日本の人々のまえで自らのライフヒストリーを
堂々と語った姿に、心を打たれました。
彼女たちのこれからの人生にとって、この体験が
一つの力になってくれたらいいなと思いつつ、
彼女たちが歩いてきた道、これから進む道に思いを
はせたのでした。

イベント後数日は、ボランティアさんやてのひらスタッフに
よる観光アテンド。夜は私の家でのホームステイ。
タイ語でほとんどコミュニケーションがとれない
状態でのホームステイ、彼女もストレスたまっただろうなぁ。
でも、一緒におむすび握って玉子焼き作って、出かけた
お花見も楽しかったなぁ...とか、大変ではあったけど、
それを大きく上回るプレゼントをもらった気持ち。

1年に1度タイに会いにいって、あとはTJCセンターの
まりさんに様子を聞く、という関係では得られない何か。
体験の共有と、思い出の共有とは、ちょっと違うんだなと
感じたりもしました。

写真は、帰国前夜にAちゃんが作ってくれたタイ料理。
ガパオ・ムー、いろいろ野菜炒め、ニラと卵の炒め。
タイ語が堪能なボランティアRさん、てのひらメンムンさんも
参加してくれ、楽しい夕餉でした。美味しかった!!

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久々の更新です

2016.02.06

naomurakami

私も美和ちゃんも、大きな波の変わり目を体験した昨年。
頻繁にこのブログを更新していた頃と、色々なことが変わりました。
出来なくなる事もあるけれど、でも新たに気づくこと学ぶことが
たくさんです。
生きるうえでの大変さの質が年代で変わるってことを、
思い知らされています。

変化の時期はまだ続きそうですが、旧正月も目の前、
気持ちを切り替えるタイミングにしたいです。

ということで、お知らせをひとつ。
ここ8年くらい関わってきた日タイ国際児(私が関わってきたのは、
日タイ国際児のなかでも、人身売買で日本へ渡ったタイ女性と
日本男性との間に生まれ、現在タイで暮らす子どもたち)の
一人を日本に招いて、ライフヒストリーを語ってもらう
イベントを開催します。
タイへのスタディビジットを続けてきたNPOてのひらが主催です。

2014年に、日タイ国際児と恊働で作ったショートムービーも
上映します。
これから社会に出て行く年齢になった彼女たち彼たちと
私たちがこれからどんな関わりを持っていくか、あらたに考える
機会にしたいと思っています。
イベントは3月27日。午後1時半から、信濃町で。
(大切な教え子Yちゃんのお誕生日と重なったのも、何かの縁かな)

参加定員40名なので、参加してくださる方は
ぜひ事前にご連絡を!
下記のフライヤー下部にあるてのひらメアドでも、
私のメアドでもどちらでも大丈夫です。

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このさりげない美しい風景を

2015.12.17

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当たり前のように味わう事は、もう今年が最後なのね。
思い込んだり反発したりあいしたりにくんだりした、
この25年間の多摩美の初冬景色。
相容れないお年寄りはまぁそのままで、
愛しい愛惜しい学生達に対しては、もちろんそのままで。


年内最後の授業で。
あぁこんなにあたしはここで出会った学生たちが好きだったんだと
一人一人の顔を見つめる。

今日のところは、年内の16mmフィルム撮影をしっかり終わらせた
学生の、不安と頼もしさの混じった背中を見送る。
この学生たちと出会わなかったら、全く違う1年になっていただろう。
毎年全然違うコミュニケーションが生まれる。
授業では怒ってばかりで、息つく間も無いのだけれど、
奥歯噛み締めながら、しっかリ受け止めてくれる学生に拍手を送りたい。

心身状態が絶不調で向かった本日、みんなと時間・場を暖めながら
進んでいく授業で、完全復活。みんなの力ね。ほんとありがとう。


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秋野菜も終盤に

2015.10.29

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大きくふくらんだ黒豆は枝豆としてたべるより、さっと茹でて
冷凍しておくと何かと便利です。
米は一人じゃ出来ないから夢でしかないですが
豆、イモ、小麦あたりはしっかり作れるようになりたい。
って、自給農スクール参加ももう4年目が終わろうとしてるんだけど。
なかなか学びが身に付かないです。
時々学生さんから「実家が兼業農家です」というのを聞くと
あぁ、選択肢があっていいなぁと思います。
それはそれで単純じゃないのだろうとも思いますが、素直に羨ましい。

故郷を持たない都市生活者は、どこかのタイミングでえいやっと
力ずくで生活拠点を変えないとね。
オリンピックとかいうもののまえに、脱東京するのが望みです。
とりあえず蕪や大根、松本一本葱などの収穫に早く行かなくちゃ!

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動いていく景色の中で

2015.09.26

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4年前、暮らし方を変えていこうと決めて学び始めた
自然農、自給農。農業でお金を得ようというわけではなく
自分が食べる分の大部分は自分で作る暮らしがしたいと。
日本における自然農法の祖、福岡正信氏曰くの「一反百姓の
すすめ」ですね。
お金がないと生きていけない、稼げなくなったらどうしよう
という恐怖に縛られて、「経済優先」なんちゅう欺瞞の
スローガンのもと人間性を失っていく暮らしを、変えたい。
お金を使わない暮らしは無理だけど、米や豆や野菜を育て
自然の恵みを頂戴する暮らしに変えていけば、「恐怖」からは
随分と解放されると思うんです。

と、理想の暮らしを思い描きながら、まだ東京に暮らし
恐ろしいスピードでおおらかさと共感性を失う社会の有り様に
言葉を失いがちな日々。
でもこの数ヶ月、そしてこれからも、学ぶことの重要さを
しかと思い知りました。
「今は無理」と思考停止していたのは自分も同じ。
私自身も、まだここからなんだ、と強く感じてます。

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33年を振り返りつつ歩く、歩く。

2015.09.23

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今は渋谷なんて、アップリンクあたりでかかってる映画を
観に来る以外は近寄りたくない街になってしまった。

高校生の頃、学校や塾をサボって向かった渋谷は
オトナに見つからずに好き勝手できる居心地のいい場所だった。
帰りたくもない、誰にも会いたくない時には
東急文化会館のプラネタリウムが最高の休憩所。

この33年で渋谷の街はめまぐるしく変化して、体温や匂いの
しない空間ばかりがエリアを広げているように思う。
そんなシブヤへの思いを持ちつつ歩いた今日の戦争法制廃止!のデモ。
16歳の時のチャラついた自分が、おばさんになってデモで声を
張り上げてる私をみたらなんて思うだろう。
まぁ、爆笑だよね。
(写真は一緒に参加したM君より借りました)

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そして始まる

2015.09.19

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ここから、また。
大きな絶望を知ったからこそ、自分が生きる上で
何を真に大切にしたいかが、分かる。
忘れるとか忘れないとか、そういうレベルの話じゃない。
多くの人が、覚悟を決めた9月19日。
小さなキャメラを持って、何度でも国会前に向かおうと思います。

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まだ、これから。

2015.09.17

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希望はまだある。
シニカル気取って「もう無理でしょ」なんて、絶対言わない。
今日も国会前に行ってきます。

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彼らが憎いわけではない

2015.09.15

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9月14日夜。
国会前に辿り着けないように、永田町、霞ヶ関、国会前の
道路にはそこかしこに警察の鉄柵。夥しい数の警察官と装甲車。
進めない人が歩道に溢れ、怒号が飛び交う。
最前まで押し出されて顔を向き合わせるは、若い警察官たち。
彼らは「上」に言われた職務を果たすために、市民の怒号を
聞かない素振りで、身動き出来ない私たちが進めないよう、
鉄柵を押さえ続ける。

でも、私たちの声が聞こえていないわけではなく、
聞かないように努力をしているだけなのだろうと思う。
彼らが憎いわけではない。
目を伏せながら鉄柵を無言で押し返す若い警官たちを前に、
なぜだか涙をとめることができない。
線引きして対立をしたいわけではないと、伝えたい。
それは、違う考えを持つの多くの人たちと、共有したいこと。
だからと言って、流されるままの愚民でいるわけにはいかない。
いま戦争法案に反対し続けないと、死ぬまで後悔するだろう。

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